2022年はどのような年でしたか?
ようやくコロナウィルスの蔓延に終止符が打たれる年になるのか?と淡い期待を誰もが思っていた最中、人が生き続ける限り、人の中で存在し続けるウイルスは消滅することはなく、やはり共存するしかないということが薄々、諦めと覚悟と両方の気持ちを持ちながら理解されつつあるのが、今の状況だといえるのではないでしょうか?
あくまで個人的な私の発想として、ウィルスと人の記憶とが、とても性質が似ていて、似ているからからこそ人の記憶の整理の仕方が、ウィルスとの共存の考え方の役に立つのではないか?と思っています。
どういうことなのか?
忘れてしまいたい程の良くない記憶、自分にとって最悪の記憶。
でも、記憶のメカニズムは解明されてはおらず、記憶を消し去ることはできません。
忘れたいのに忘れられない記憶。
まるでウィルスをこの世から消すことができないことと同じ。記憶も人が生きている限り残ります。
忘れてしまいたいほどの都合の悪い記憶をどのように、頭の中で整理して、受け入れていくのか?
もしくは受け入れきれずに逃げ続けていくのか?
それは、その人その人の生き方と考え方によります。
できれば、消し去りたい記憶。でもその記憶は絶対に消えないのですから、時間をかけて受け入れて、受け入れた中で、その中で力強く生きていくことが理想なのかもしれません。
でもその記憶が、受け入れるほどができないほどの強烈なモノだったとしたら?
支離滅裂な破滅なカオスをもたらす程のチカラを持っていたとしたら?
どうすればいいのでしょうか?
コロナウィルスが蔓延したこの世の中では、消し去ることのできない記憶と同じように、受け入れて、
ではなく受け入れざるを得ないこととして、
消してしまいたい記憶と共存することと同じで、
ウィルスと共存することは同じ。
と、例えたとしたらウィルスとの共存することが受けれられる?
のかもしれません。
元々、この地球に生きている人類である私達は、か弱く、脆く、儚い生き物です。
太陽と地球との絶妙な配置から、太陽のその熱で命を繋げることができている、か弱い人類は、何故?誕生してきて、その存在の意義を高め続けできたのかは?誰にも分かりません。
ひょっと生まれてきて、生まれてきたから生きなくてはいけなくて、その命を尽きるまで大切にする。何故生きなくてはいけないのか?生きる意味を、存在することの意味を作り上げていく。
それが生きるということ。
命は尊く、命は神秘です。
2500年前も、今も、未来も、どれだけ環境が変化して、機械や医療が発達したとしても、人の本質は変わりません。
2500年前の人の心も、今の人の心も同じ。
心は心。
結局は、この世の中は人と人。昔も今も、自分で息をして、自分で立ち上がって、自分で歩いて、自分で食べて、自分で寝る。そして人と触れ合う。どれだけ生活が機械や医療が発達して便利になったとしてもその生きる本質は変わりません。
約2500年前から今になって、人類の中で受け入れられて、根付いていること?はなんなのでしょうか?
結果的にどうしてきたのか?どのようになったのか?
幾万の問題があったとしても時が過ぎれば、どこに落ち着いたのか?落とし所はどこなのか?は明らかになります。
別に宗教とか、信仰心ということではなくて、辛くて、不安で、痛くて、どうすることもできないなかで、どのように人は乗り越えて来たのか?歴史のその経験を考えてみると、実際に現実としてどうしてきたのか?
お釈迦様であるガウタマ・シッダールタは、定かにはなっていませんが、約2500年前に釈迦族の王子として生まれ、地位も名誉も富を生まれながらに手に入れていたのにもかかわらず、全て捨て去り、この世の不条理と向き合うことを心に決めて、聡明な頭脳を使って、数々の思想を作り上げてきました。その思想を作り上げるなかで発明発見したこと、それは、
瞑想。
けして、私が仏教を信仰して、それを勧めているわけではありません。宗教としてではなく、心と思考を整えるための手段としての、瞑想の技術、呼吸法。
呼吸を深く整え、不安の感情をコントロールして、思考を整える、それが瞑想です。
瞑想というのは、思考を整えるための手段として多くの人に活用されてきました。
大きな会社で、信じられないほどの膨大な多くの問題を解決しなくてはいけない最高経営責任者であるCEO。
1年を通して、疲労や不安と闘いながら、人を感動させるほどのパフォーマンスを発揮しなくてはいけない一流スポーツ選手。
瞑想の呼吸法は、強く生きるために、多くのリーダー、戦士達に活用されてきたテクニックです。
心がざわついていて、不安で、パニックになっている状態で何かを考えても、その考えの先には解決策は見つかりません。
何か問題が起こった時には慌てないで、まずは心が落ち着かせることが最優先です。
お釈迦様であるガウタマ・シッダールタは、貧困での飢えや、法がないの争いの中、夢も希望も無い中で、
独り瞑想をして考え続けたのです。全てを捨てて、、、
呼吸を整えることと、心を整えることが同じということを知り得たことは天才のなせる業です。
そして、その呼吸法は今現在に至るまで、数多くの人に影響を与え、問題を解決してきました。
私もスポーツ選手としてコーチとして、呼吸を整える瞑想にはとても助けられてきました。
今、世の中に求められているのは、心が落ち着いていて、深く真理を見つめる人達なのかもしれません。
よほどの修練を積まなくては、現実、真実としっかり向き合うことはできません。
今だけではなく、昔も今もこの先も、心を整えて問題と向き合うことは、人が生きていくなかでの不安を解決して向き合うことは、人類の永遠のテーマなのではないでしょうか?
皆さんも今年は、コロナウィルスがかき乱した生活のなかで、それでもしっかりとしていかなくてはと、発奮してきたことでしょう。
私自身は、もともとコロナウィルスが蔓延してなかったとしても、生きることそのものは大変なことなのだと忘れないように、私は私なりに頑張るようにして来たのですが、やはり何か合ったときには呼吸を整えることを最優先にして頑張ることができました。
来年もしっかりと、地に足をつけて、落ち着いて、生きることを噛み締めて、味わいながら過ごしたい。
まずは心を整える。
心を整えるためには、体を整える。
不摂生をしている人はまずはそれを改めてみること。
病と闘っている人は、病が治らないとしても、生きることの本質を見つめて、まずは優しく呼吸をしてみて、整えて、優しい気持ちを持って物事を見つめてみる。
どれだけのことに助けられて、楽しまさせてもらってきたのかを感じることができたのなら、それだけでシアワセな気持ちになれるはず。
10年の命、100年の命、1000年の命。
どの命でも最後の1日はどれも同じ。
最後の時にどのような気持ちでいられるのか?
できれば、感謝の気持ちを抱きながら、穏やかで優しい気持ちで最後を迎えたい。
その最後の時のためにココロを整え続ける。
どんな心境で、どんな不遇な状況でも最後の日のためにココロを整えようとすることは、素敵なアイディアです。
まずは落ち着くこと、それから良く生きる。
今年も皆様、ありがとうございました。
皆様の優しさに助けられて、私は生かされていることを、謙虚に感謝の気持ちで自分を戒めながら来年を迎えようと思います。
来年も、呼吸を整え、心を整え、自分のできる限りのことを絞り出しながら、皆様と向き合っていく所存でございます。
良いお年をお迎えください。
2022年12月30日
公益社団法人日本プロゴルフ協会所属
吉田 誠吾
2022年12月30日 04:11