シンプル コンクルージョン
見渡す限りの世界を
端から端まで繋ぐ
飛行機雲を
飽きもせずに
掠れる最後まで
眺めていた
人が一生懸命に生きて
生き終えて残る
レガシーと飛行機雲は
全く同じだということに
ふと気がつくと
胸の中の
深い底なしの
黒なのか白なのか分からない
チカチカした
ココロの巨大な空間に
何か淋しくて
それでいて少し懐かしくて
胸がキュンとするような
優しい温かい
通り風が駆け抜けて
私の中の
迷いや
憂いが
すっと流されて
無感情というべきなのか?
三昧の境地に至ったというのか?
生きていくことは
雄大な時の流れに
身を任せればいいだけと
ほっと巨大な大木に
寄り添っているような
安心感に包まれる
さてさて
心穏やかに
誰にも迷惑をかけずに
プラプラと流されるのも
悪くはないのだが
やはり
生きていることを
せっかく生まれてきたのだから
よく味わいたいというのは
身に余る贅沢なのか?
禅の世界を覗いてみると
この世は無常だと
何度も何度も
語りかけてくる
そう、、、もちろん
無常なのは理解します
しますが、、
少しだけ納得がいかない
ことが、、
私には出来てしまった
生まれてくると
生きようとするプログラムが
私達には組み込まれていて
息を止めようとしても
呼吸をしようとするし
心臓は最後の最後まで
鼓動を止めようとはしない
人としてなら人として
犬としてなら犬として
猫ならば猫として
最後まで生きねばならない
人里離れている
山の上の
90弱いの
ある老人が
どこまでも純粋に
どこまでも正直に
生きてきて
言った一言が
私の全てを貫通させた
「生きるまでは
生きねばいかんのでねぇ
こればかりは
しょうがない、、」
この言葉の重さと
簡潔さには
恐れ入りました、、と
90弱いの女性が
気丈に
独りで生と戦う姿を見て
ふとなんの予告も無しに
右の目から
すーっと涙の筋が
通った後に
涙?
悲しかった?
感動したのか?
いや、、そうではない、、
荒んで干からびていた
ココロを洗うための
涙だと気がついた
時に
私のなかの全ての迷いが
飛行機雲が深い空の中で消えるかと如く
パッと消えて無くなった
生きるということは
深い
深すぎて言葉に表せないのかと
思っていた
そんな
我が人生への無力たるや、、
諦めのような
間違えてしまった悟りのような
精神の心臓麻痺になりかけていた
私に
この女性が上手に言い現した
言葉が
電気ショックとなって
私の心臓は再び
強く鼓動を打ち始めた
霞んでいた世界がクリアになり
大空の大気を深く吸い込める感覚が
久方ぶりに戻った、、
禅の世界は
素晴らしく
そして恐ろしい
意味を深く理解すれば
不安や恐れが無くなるが
一つ間違えてると
暗い闇の中に閉じ込められる
この世の全ての真実と現実を
受け入れなさいと
悟されていく
それが禅の世界
自分という小さな存在を
どうすることも出来ない
巨大とも言い表せない
それよりもさらに大きな流れに
身を任し
集中し
無になり
全ての感情と連鎖から
解放されることを
訓練し続ける
自分の為ではなく
人の為でもなく
あるがままを受け入れて
それに逆らわないこと
ココロを穏やかにして
仕方のないこと
どうすることも出来ないこと
を全集中で瞑想し
受け入れて流すこと
そして死を
誰の迷惑もかけずに
静かに穏やかに待つこと、、
ん?
否!
Because that's what I think.....
悟りの境地へ達っせない者達には
なんか暗くて
なんか冷たくて
暗く見えてしまう
所もある
禅の世界
、、って辛い修行をやり遂げなければ
理解できないようなことを
難しく教え諭すことには
私は禅の世界に
完全を見出だせない
修行を終えたものだけが
見える世界?
そんな世界なんて
ほとんどの人が理解できない
じゃないか!
そんな難しいことじゃなくて
誰にも分かりやすくて
素敵に理解してもえらえば
いいなら
人に命に優しくなれたら
それで
良いんだよ
っていうことで
イインダヨ
で良くないですか?
お釈迦様
ただ我慢して
謙虚に生きてるだけじゃなくて
温もりを知らない子犬に
リボンをつけてあげる
とか、、
悲しくて立ち上がれない人に
ココロを込めて
歌を歌ってあげるとか、、
頑張っている人を
応援して
一緒に涙するとか、、
どれだけ辛いことが
我が身に起こっていても
夢をみる子供達の前では
楽しそうに大きく夢を語るとか、、
優しい世界を自分で作り上げていく
凄いことなんてでなくていい
自分にとってでいい
少しでも優しくなれるように
自分なりに努力するだけ
私は知っている、、
禅の世界で脱落したものの
欲深さを、、
退屈そうに
禅を説く
高層の禅の先生達を、、
結局は
欲や
退屈に
負けてしまうぐらいなら
シンプルに
「優しさ」を
「優しく成れること」を
努力するほうが
皆には分かりやすい
私は、、そう想う
生きて無になる
ことを受け入れる
だけが人生の全てではなく
何も無いところから
アイディアが生まれる
不思議
何も無いところから
生まれる
誰も聞いたことが無かった
ココロを震わす歌
ふとした瞬間に
相手のココロがなごむ
気の利いたジョーク
見ているだけで幸せを感じる
ような素敵なキャラクターを
新しく思い付き描き表すこと
そんな無から生まれた
これだけの
不思議なコト達を
お釈迦様はありありと
想像できたのでしょうか
人に
命に
優しくするために
生まれてきた
アイディアや
歌や
デザイン
楽しいだけを追求してしまうと
人は欲深いものだから
人を傷つけてしまうこともある
だから
自分を律し
厳しくすることは
とても大切
でもほっとする優しさを
大切にすることも
同じぐらい大切
あれも駄目
これも駄目
我慢して
欲を捨てなさい
なんて、、
自分を律するなかで
優しさは大切にする
優しさから生まれたものを
みんなで共有する
それが禅を学んでいる最中の
私の想いついた
アイディア
アインシュタインの言った言葉に
「6歳の子供に説明できなければ理解したと
は言えない」
という言葉がある
私はその言葉を大切にしてきた
6歳の子供に私はこう説明したい
「人に優しくなれる努力をしなさい。
それが君の人生の中で一番大切なこと」
優しさで人のココロが温かくなる
ことを一番大切にしていく
それが私の人生の中で
沢山のことから
私が理解した
アイディア
どれだけ辛いことがあっても
ココロが苦しくたって
人に優しくできる
強い精神力を
学び鍛えていく
良く生きるとは?
どんなものなのか?
その哲学を
6歳の子供達に
楽しく分かりやすく
説明できる人に
私は成りたい
よく生きるとは?
どんなものなのか?
あなたはどう説明する?
2024年09月13日 22:53